計画に織り込んであった当初の落ち込みを横ばいで乗り切ったため再生計画は1年半~2年程度前倒しで進みました。
これといった大きな事件はなかったけど
理事長を引き受けたところや支援機構に再生を申し込む時のようなドラマチックな展開は特にありませんでした。
当初は3~5年で卒業を予定していたのですが、1年半で卒業できそうな業績でした。
まとめてみると
一番大きかったのは金利負担の軽減でした。これで3000万弱支出が減りました。
次に、病院の状況の改善です、以前の記事でも述べましたように(Ⅲ-2 病院って儲からないんです)病院は利益率が低いのですが、少しの売り上げ増が大きく収益状況を改善します。皆の意識が変わり、医師が入れ替わったので大きく収支が改善しました。
無事に卒業が決まる
支援開始から1年半で卒業が決まりました。実はこの時点ではまだ債務超過は解消していなかったのですが、それも時間の問題だという事での卒業決定でした。
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